[第2回関西MBI史跡ハイキング - 奈良町ウォーク]
(2003/01/26)



2003年1月26日、今日はMBI関西支部の第2回史跡ハイキングの日である。
心配していた天候も、ちょうど冬型気圧配置が緩み、穏やかな一日になった。






近鉄奈良駅の噴水前でMBIの人達と集まっていると、ちらちらとこちらを見ている人がいる。あれが、ひょっとして初参加のYさんご夫妻?そう思ったが、こちらから声をかけて間違っていたら悪いからと思って黙っていた。YさんとMBI同期のNさんが来られればわかるだろう。そう思っていると暫くしてその人がこちらに近寄ってきた。
「あのう、MBIの方ですか?」
「ああ、そうですが、Yさんですか?」
「ええ。」
そんな感じで話が始まった。ほどなくして、Nさん、Kuさんご夫妻が来られ、総勢11名が揃ったので奈良駅前を出発する。冬にしては絶好のハイキング日和である。



興福寺を南北に横断して、猿沢の池のほとりに出て、左側の道を南に下っていく。「ならまちセンターでパンフレットをもらいましょう。」そう言って、ならまちセンターを目指す。名前からして数寄屋造りの古風な外観を想像していたら、鉄筋の立派なホールで一同驚いた。

「ならまちっていうのに、風情がないなあ。」そういう声がする。とにかく中に入ると、観光案内という感じではなく、単にならまちにある集会所ホールという風情であった。そこでパンフレットらしきものを見つけて、元興寺に向かった。

しかし流石に奈良町である、元興寺に向かう小路には奈良町らしい風情の店が並んでいて、あちこちで写真機を構えた人達が日曜写真家を楽しんでいる。日差しも心なしかポカポカと暖かい。



元興寺は世界遺産に登録されてはいるものの、何時来ても閑散としている。有名寺院とはとても言えない寺である。元興寺は何時来ても陰気である。そういえば、「奈良では幽霊のことをガンゴウジというらしい。」ということをどこかで聞いたことがある。
Kdさんが受付で聞いてきたところでは、本尊の曼荼羅と本堂の建物が国宝で、たまに訪れる観光客から拝観料400円を払ってもらえる価値はそこにあるらしい。



本堂の中でも、特に西側の屋根の茶色い瓦が有名で、日本最古(飛鳥時代)の瓦として一見の価値がある自慢の一品である。



本堂には曼荼羅の裏側に閻魔大王以下、冥府の十王が並び、奥には、位牌やら供養仏が所狭しと並んでいる。本堂を見終わって宝物館に入ろうとすると、TさんとKdさんが表で談笑している。え、もう、宝物館を見終わったのだろうか?そう思いながら、国宝五重小塔のある宝物館に入る。ここでは雑然と仏様が並べられているが、よく見ると「重要文化財」とか「県指定文化財」と書いてあるものが多い。二階には、骨壷や魔よけの札などがあって、当時の風俗を知ることができる。

見終わって外にでると、KdさんとTさん達が相変わらず談笑していた。帰り際に「Tさん、宝物館にはいきました?」と聞くと行っていないという。「もったいない。」そう思ったものの、このあたり、個人には干渉しないのがMBI流である。



ほどなく十輪院についた。まず、ここで記念写真である。そのあと、寺務所に行って拝観を申し込むと、相当な歳の老爺が出てこられた。十輪院は石窟に入った地蔵菩薩が本尊の珍しいお寺である。
横から、Tさんが「これは凄いね。」と言っているのが聞こえた。確かに、こんな寺は他にないように思える。おそらく、石窟が先にあって、あとから建物を造ったものだろう。古いみすぼらしい本堂だな、と思っていたら、国宝で鎌倉時代のものだそうだ。
このあたりの寺は、どこに行っても、弘法大師を祀ってあり、十輪院も例外ではない。奈良と弘法大師の取り合わせは奇妙に思えるが、空海は一時、東大寺の別当をしていたことがあり、真言宗と南都の寺の結びつきは、思ったよりずっと深い。



例によって、撮影者を変えて、もう一枚。



本堂の石窟には及ばないが、庭にも石像が幾つか配置されている。
菩薩像は風雨に打たれながらも優雅さをたたえていた。



奈良町をぶらぶら歩いていると時間を忘れてしまいそうになる。十輪院を出るころには、もう11時30分を過ぎていた。1時から奈良駅前で新年会、これに間に合うようにしなければならない。急いで、新薬師寺へと向かった。



少し遅れて第2集団



続いて第3集団

新薬師寺の手前に、入江泰吉写真美術館という新しい建物ができていた。
写真好きのTさんが入りたそうにしている。
「入ってみますか。」
だれかの一言で、みんなが動き出した。

入場無料と書いてあったのに、中に入ると入江泰吉氏の写真を見るには500円かかるらしい。
「なーんや」という訳で、替わりに、隣で開催している無料のアマチュア写真展を見た。
しかしこれがどうして、アマチュアとはいうものの、なかなか素晴らしい出来であった。
特に、奈良公園の鹿を陰影にしてある作品は見事であった。

新薬師寺に入った時は、もう12時をかなり過ぎていた。
拝観料600円と書いてあるのを見て、皆一様に「ええ、高いなあ。」という声が上った。
東大寺大仏殿でも500円である。
これはちょっと高いぞと思ったが、ここまで来たのだから仕方なく払って入ることにする。

ここの薬師如来は眼が大きい。私は常々「どんぐり眼の薬師如来」と言っている。
この寺では本尊よりも十二神将の方が有名である。
本尊は平安時代の作であるが、十二神将は天平時代の塑像の名作である。
ただし十二体のうち一体だけ失われており、その一体だけ明治以降に作り直されたらしい。
どれだろう、そう思って見ても、外見だけでは区別がつかない。
「これかな?」そう言うと、Kaさんが「国宝って書いてあるから違うでしょう。」と言われた。
「そうだ、国宝と書いてないのが、それに違いない。」
そう思ってKaさんと一緒にもう一度一体ずつ見ていくと、確かに国宝でないものが一体だけあった。



新薬師寺を出る頃には12時30分を回っていた。
1時の予約まで、もうあまり時間がない。
皆、急いで志賀直哉の旧邸に向かう。



急いでいる割には、緊張感が感じられない。
これもMBI流だろうか。



この旧邸は現在、学校法人が保存しており、中の見学ができる。入ってみると、広い庭に面した書斎、居間、サンルームまである。サンルームには友人が集まってきてさながら文化サロンであったらしい。「ふうん、小説家ってお金持ちなんだな。」そんな俗っぽい印象しか出てこないのには、我ながら情けなくなった。



志賀直哉は、この書斎で暗夜行路を執筆した。書斎の窓からは奈良の山々が一望でき、すがすがしい。



志賀直哉邸を出た後、Kdさんの提案で、奈良公園を突っ切って戻ることにした。確かにその方が直角三角形の斜辺を歩くことになり、早いはずである。新年会が待っている、そう考えると足取りも軽くなる。30分ほどで東向商店街にある「味恵方(あじえほう)」に辿り着いた。15分程度の遅刻ですんだようだ。

とりあえず乾杯。



運動した後のビールと、味噌仕立ての恵方鍋は絶品で、冬ハイキングと鍋の組み合わせは毎年の定例としてもよい程の好評価であった。皆で乾杯の後は、MBIらしく、イラクや北朝鮮の国際問題に話が発展し、皆で楽しいひと時を過ごした。


次回は京都という声もありましたが、世話役の独断で、「新緑の山辺の道」にしたいと思います。
春の山辺の道の素晴らしさは、他では味わえない郷愁を感じさせるものです。



参加者(50音順)
上田さん
大倉さん
葛野さん
川勝さん
桑原さんご夫妻
伴野
成田さん
山崎さんご夫妻
吉野


報告者 吉野
HP編集 伴野


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