[第4回関西MBI史跡ハイキング - 天智天皇ゆかりの大津京跡を巡る]
(2003/07/20)



2003年7月20日、MBI関西支部の史跡ハイキングも第4回を迎えた。今回は、これまでと趣を変えて、三井寺から近江神宮と、大津の旧跡を巡ることにした。何故、京都でないのですか、というKuさんの声が聞こえてきそうである。京都は大都会なので、歩いて楽しいコースを設定するのに非常に苦労する、というのが本音である。さて、心配していた梅雨空も、ここ数日、滋賀県に限ってなんとか降らずにすんでいる。20日までもってほしい、と思っていたところ、朝から曇り空で、歩くには丁度いい天候である。史跡ハイキングは、いつもきわどいところで天候に恵まれている。今回は、第3回と日が近いせいか、都合の悪い方が多く、Yaさん、Iiさん、Tさん、Kaさん、私の5名になった。皆勤のOさんは、風邪気味のようで急遽不参加との連絡があった。

朝、10時前に大津駅に着くと、さすがMBI、時間には正確である。全員が時間通りに集まっていた。Kaさんの「行きましょうか。」の一声で歩き始める。大津駅からはビルの向こうにかすかに琵琶湖が見えている。湖岸までは10分ほどだが、遠回りになるので、京町の路地を通って三井寺に向かった。路面電車が通る国道161号線を越えると、あたりは昔ながらの大津の町並みである。路地をしばらく行くと道は右に曲がっているが、その角のすぐ左手前の家の前に作家の「花登筐(こばこ)生誕の地」という真新しい石碑があった。花登筐は大阪を舞台にした人情話の作家なので、大阪の人とばかり思っていた。地元の町でもあらためて歩いてみると思わぬ発見がある。

大津旧市街(叶匠寿庵)



大津旧市街(花登筐(こばこ)生誕の地)


歩きながら、ふと道端を見ると、地域の案内図があった。どうも少し戻ったところに「大津祭曳山展示館」というのがあるらしい。せっかくだから寄り道しようということになり、昭和30年代を思わせる商店街を早足で戻っていった。

昭和30年代を思わせる商店街


「大津祭」は、京都の祇園祭を小型にしたようなもので、たくさんの曳山が出て鉦と笛の音で練り歩く行事である。しばらく商店街を歩くと、右手に小さな展示館があった。中はなかなか立派なもので、わざわざ吹き抜けにして、曳山の実物大模型を展示してある。実物は13台あり、それぞれが特徴のあるからくり細工を持っているらしい。毎年、10月のはじめに行われ、今年は10月12日が祭礼で、一度来て見ようと思った。2台の曳山の装飾に、ベルギーのゴブラン織が使われている。どうも、祇園祭の装飾と対をなすものらしく、国の重要文化財と聞いて、またびっくりである。

大津祭曳山展示館


曳山博物館で大津の歴史を勉強したあと、コースに戻って琵琶湖疏水を目指した。疏水を見ながら、疏水の疏という字は、どういう意味だとか、誰がいつ作ったのかという話でまた議論に花が咲いた。琵琶湖疏水の歴史は誰も調べておらず、「これは、吉野さんの宿題だね。」ということになった。 琵琶湖疏水は、琵琶湖西岸から京都の蹴上までを緩やかな勾配で水を流し、京都市内に琵琶湖の水を供給している。考案者は当時の工部大学(現在の東大工学部)の学生、田辺朔郎氏で、全て日本人の手で設計、完工させた。外国人技師はおおいに反対したようだが、当時の京都府知事北垣国道は、百二十五万円を工事に投じて五年間で完成させたという。京都市のある山城盆地は、鴨川、桂川が流れているものの、渇水期には水不足になる土地である。これが、琵琶湖疏水のおかげで、今なお潤沢な水が得られるのは、明治の先達のおかげである。疏水の両脇には桜が植えられており、春はさぞ見事だろうと思った。

疏水(琵琶湖からの取り入れ口)



疏水(山を貫く水のトンネル)


さて、琵琶湖疏水が山裾にもぐるすぐ近くに、三井寺がある。三井寺は正式名を園城寺(おんじょうじ)という、天台密教寺門派の本山である。伝教大師最澄の弟子智証大師円珍がおこしたという。比叡山の山門派に対して寺門派と称する。拝観料はと見ると、500円と書いてある。安い、と思わず言いそうになった。この規模で京都、奈良にあれば、1000円はするだろう。立地のせいか、日曜日というのに人が少ないのもありがたい。重要文化財の山門には個人の名前が書いた御札がべたべたと貼ってある。西国三十三ヶ所観音霊場の一つになっていて、お参りする人が貼っていくらしい。山門のところでまずは記念撮影である。

三井寺に到着



三井寺の門前で記念写真



さらにもう一枚



三井寺は広大で、敷地の内部には国宝、重要文化財が目白押しである。Kaさんが、金堂を無視して石段を登っていく。

三井寺金堂


あれ、と思っていると、小さな建物があり、弁慶が引き摺ったといわれる鐘が置いてあった。まさか、こんな鐘を一人で持てるわけもないけれど、見ると確かに縦に無数の傷がついており、もっともらしい伝説が記載されていた。さらに石段を登り、経蔵、三重塔、灌頂堂と通り過ぎていく。あれあれ、金堂と有名な鐘の見学はどうするんだろう。石段を反対側に降りたところで、「あのう、金堂と鐘を見に行きませんか。」といってみた。心配するまでもなく「そうですね、その方がいいかも。」と全員一致で下の道を回って少し戻ることになった。金堂の前に大きな釣鐘がある。これが近江八景の一つ「三井の晩鐘」らしい。ついてみようかと思って鐘楼に近づくと、300円と書いてある。結局、記念撮影だけにした。

三井の晩鐘の前で(1)


三井の晩鐘の前で(2)


金堂を拝観した後、観音堂に向かう。途中に「弁慶の力餅」を売っていたりして、食欲をそそられる。観音堂は小山の上にあり、琵琶湖の展望台になっている。最近は、湖岸に高層マンションが建ち並んで、少し見晴らしが悪くなった。

観音堂から琵琶湖を望む


ここで一息ついて、皇子山公園を北へと向かった。皇子山公園は、大津市役所の近くにあって、野球場、陸上競技場などを備えた大規模な運動公園である。ちょうど、高校野球の夏の予選をしており、球場からは歓声が聞こえてきた。公園を過ぎると、再開発された西大津の駅前にでる。開発途中なのか、高層マンションがならぶ、少々殺風景な町である。寄り道をしていたためか、時刻はもう一時近い。「うどんでも食べましょうか。」という誰かの一声で、駅にほど近い小さなうどん屋に入った。運動したためか、昼食がひどく旨い。普段なら入らないような量をたいらげて、近江神宮を目指して出発することにした。

県道をしばらく歩いた後、私が、大津京跡を見たいと言ったので、途中で住宅地の細道に入っていった。しばらく歩くと、「皇子山古墳」という小さな手作りの道標が見えた。「行きましょうか?」「いいや、大津京跡の方が。」という話の後、大津京跡を見に行った。大津京は、住宅地の下に遺跡があり、現在、ほとんど発掘が出来ない状態で、空き地の部分だけが一部発掘されている。我々が見たのも、20坪ほどの小さな空き地に建物の柱の位置が明示されただけのものであった。

大津京跡


その空き地で説明文を見ていると、誰からともなく「行きましょうか?」「行きましょう。」ということになった。行き先は、もちろん皇子山古墳である。こうなると、まるで皆、童心に戻った好奇心旺盛な「探検隊」のようだ。そう思っていたら、Kaさんが「子供のころによくやった“探検隊ごっこ”みたいですね。」と言った。まさにその通りで、皆の眼が輝いている。路地のような坂道を、息を切らせながら登っていくが、なかなか着かない。「あの森ですかね。」私はあてずっぽうに言ってみた。「いや、いくら何でも大きすぎるでしょう。」誰かが言う。一心不乱に登っていくと、やがて傾斜が緩やかになり、住宅地の切れたところに「皇子山古墳」という案内板があった。

「皇子山古墳」案内板の前で


やれやれ着いた、と思って撮影をはじめたものの、案内を読んでみると、どうも古墳はこの上らしい。それに気がついたTさんが階段を登っていった。遅れまいと私も登っていく。いい加減ばてているところに、この急傾斜はきつい。

「皇子山古墳」最後の登り


やっとのことで登りつくと、立派な石垣のある古墳があった。「この石垣は昔のもの?」「まさか。」とTさんと話をしていると、横に説明の立て札があり、出土した状態を参考に復元したものであることがわかった。

「皇子山古墳」の石垣?


「登ってみましょう。」というKaさんの声で、墳丘に登って後ろを振り返ると、見事な琵琶湖の眺望がそこにあった。三上山から大津にかけて、まさに息をのむような絶景である。湖面には、ヨットの白い帆が、まるで花が咲いたようにちりばめられ、遊覧船が行き来している。Tさんと二人、夢中でデジカメのシャッタを切った。古墳自体は4−5世紀の前方後円墳らしい。ただ、墳丘の形が崩れていて、どこが前方部か後円部かはっきりしない。すぐ下には、湖西道路への連絡路を車が走っていて、結構騒がしい。

皇子山古墳からの展望


古墳の見学を終えて、違う道を下ることにした。しばらく住宅地を歩いていくと、行き止まりになっており、目の前に水田が開けている。皆の顔には少し疲労の様子がうかがえる。引き返すには歩いた距離が長すぎたようだ。よく見ると水田の脇があぜ道になっていて下の民家の方に向かっている。しばらく無言で顔を見合わせた後に、「行きますか?」とばかりに、畦道を歩き始めた。

畦道を行くMBI探検隊


ほどなくして道に出ると、近江神宮はすぐ向かいの森であった。 近江神宮は、天智天皇を祭ってある。神宮と名の付く神社は、明治以降の創建が多く、近江神宮も昭和15年の創建である。Yaさんが「昭和15年というと、皇紀2600年ですね。」といわれた。境内は広く、昭和の創建とは思えないくらい鬱蒼としている。本殿の前に「芽の輪くぐり」と言って、わらで編んだ大きな輪がおいてあった。北野天満宮などにもあるもので、これをくぐると無病息災と言われており、皆でくぐって拝殿にいくことにした。

近江神宮


芽の輪くぐり


芽の輪くぐり



参拝して拝殿の石段を下りると、水時計や日時計が境内においてある。何でも、天智天皇は、国内ではじめて水時計を作った天皇らしく、それを記念したものらしい。

水時計(天智天皇を記念してスイスのΩ社より寄贈)


日時計(緯度と経度を考慮して基盤を傾斜しているのが面白い。)


時計と聞いて、ふと時刻を見ると、もう3時を過ぎている。
「そろそろですね。」「日吉大社はまた今度の機会に。」
無理をしないのもMBI流である。
京阪電車の近江神宮駅まで戻り、電車でJR膳所(ぜぜ)駅まで行って解散した。
普段の運動不足を補い、景色を楽しみ、歴史を学ぶ、楽しい一日であった。
次回は、Yaさんの企画で、秋に奈良で開催の予定である。



参加者(50音順、敬称略)
飯村
川勝
伴野
山崎
吉野


報告者 吉野
HP編集 伴野


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