[ 第6回史跡ハイキング報告 −巨大古墳を訪ねて(山辺の道から箸墓へ)]
(2004/05/15)



2004年5月15日(土)朝から良く晴れている。今回は日程調整がうまくいかず思ったより参加が少なくて心配していたところ、間際になって、Uさんが参加、Kaさんも東京の予定を早めに終えて、参加の意思表示をしてこられた。ただ、Tさん、Yさん、Yaさんは欠席である。いつも、奥様と来られるYaさんは、日程調整がつかなかったので、前の週に同じコースを歩いて、様子をメールで知らせてくださった。あとでこれがかなりの助けになった。

近鉄京都駅で、誰かいないかとあたりを見回していると、Nさんを見かけたので、一緒に8時31分発天理行き急行に乗った。車窓からは見慣れた景色が過ぎ去っていく。西大寺を過ぎ、やがて天理駅に着いて、Oさん、Kaさん、Uさん、Kuさんと改札口のところで会った。おや、Iさんが見えませんね、そう言っていると、かなり遅れてIさんが出てこられた。皆がそろったところで、まずは案内板の前で恒例の記念撮影である。

天理駅で恒例の集合写真1


天理駅で恒例の集合写真2


撮影が終わって、案内板を見ながら今日のコースを私が説明していると、横で別のグループが私の話を聞いている。「ふうん、商店街を抜けていくのか。」というような声が聞こえてきた。私はガイドじゃないんだから間違ってても知らないぞ、そう思いながら、気が付かない顔をして話を続けていた。

山辺の道(やまのべのみち)までは、駅前の商店街を抜けていく。街は天理教の信徒が奉仕活動に清掃をしており、非常にきれいである。宗教用品などの店が目立つ古風な商店街を抜けると、広々とした天理教本部の前にでた。

天理教本部


ここを抜けてさらにまっすぐ東にいくと、石上神宮(いそのかみじんぐう)の参道にでる。道が二つに分かれているところで、Kaさんが「どっちへいくんでしょうね。」と首をひねっておられた。「どちらでも着くと思うんですけどね。」そういって左に歩き始めると、記憶が戻ってきた。しまった、そういえばこちらは裏道だった、と思っていると、ほどなく表参道と合流した。
石上神宮は、杉の鬱蒼とした林に囲まれている。 「石上 布留の神杉 神さびし 恋をもわれはさらにするかも」 と詠んだ柿本人麻呂の杉はどれなんだろう、と思わず上を見上げてしまった。 本殿では、中で越天楽の旋律に乗せてご祈祷をしていた。 「意外に小さいねえ。」 iさんが独り言のように言った。 石上神宮は、朝廷の神事を司っていたと言われる物部氏の氏神で、物部氏が没落したため勢力が衰えたらしい。 ただ、神社の格式としては相当なもので、皇室関係の神社以外で神宮を名乗れるのはここしかない。

石上神宮


石上神宮の本殿横の木立を抜けると、いよいよ山辺の道である。車一台通れるかどうかという道幅が延々と続いていく。これが古代の幹線道路だったとは信じがたい。実際はもう少し平坦で、平地に近いほうを通っていたのではと私は思っている。ただ、散策には現在の道が景色も楽しめて圧倒的によい。歩くと路傍のそこここに、土地にちなんだ歌碑が作られている。

路傍の歌碑


道は少し登りになっており、右側に奈良盆地が開け、はるかかなたに二上、葛城の連山がそびえている。古事記に出てくる「たたなずく青垣」とはこの景色のことだ、そう思った。途中、萌えるような若草の草むらに思わず記念撮影したりしながら、心地よい風を受けて歩いていった。やがて夜都岐神社という小さな社にでた。以前は永久寺という大きなお寺があり、その守り神だったらしい。神仏混交で、寺の横に神社があるのは、奈良ではわりに一般的である。

ほどなく、竹ノ内環濠集落である。環濠集落は、コースから少し左手に離れており、Yaさんから事前に「分かりにくいから気をつけてください」と言われていた。道標の方角に向かって山手の方にいくと、道端で土地のおばあさんが二人で話していた。Kaさんが「環濠集落っていうのはどこですか?」と尋ねると、すぐ左を指差して教えてくれた。元々は戦国時代に村を守るために周囲に堀を穿ったものらしい。今は名残を残す池が二つあるだけである。池に沿って歩き、ぐるっと一周回って、山辺の道を少し手前から歩きなおしである。

竹ノ内環濠集落3


しばらく歩くと、左手に大きな堤が見えてきた。古墳大好きのOさんが少し興奮気味に「そろそろ衾田陵じゃないですか?」と聞いてこられた。「ええ、もう少し先のはずだけど」そう思っているとiさんが走り出して、堤を登り始めた。近くで農作業をしている人が「あれは溜池だよ。」と教えてくれる。呼び戻そうと思っても、iさんははるか遠くに行ってしまっている。結局、しばらくして戻ってこられて「池だったわ。」とぽつんと一言、その声でまた皆歩き出した。

飯村さん、どこに?


道端に和風の小料理屋があったりするのは観光客を当て込んでのものだと思うが、それなりに景色に溶け込むようなつくりにしてある。道端に人麻呂の歌碑があった。「あしひきの山川の瀬のなるなべに弓月嶽に雲立ちわたる」

墳丘がみかん畑になっている西山古墳を右手に過ぎると、いよいよ山辺古墳群の中心部に入っていく。正面はるか向こうに崇神天皇陵が見えてきた。崇神天皇陵に近づいてみると、そのすぐ左手の山手にも巨大な古墳があった。これが手白香皇女衾田陵である。「継体天皇のお后の御陵がこんなに離れているなんて変ですね。確か継体陵は高槻でしょう?」iさんは歴史をよく調べておられる。写真をとろうと思ったが、あまりに大きすぎて入りきらない。どうやって近づくんだろう、そう思っていると、Kaさんが「行ってみましょうか?」、「行きましょう」、「まあとにかく行ってみましょう」ということになり、MBI探検隊が始まった。あぜ道に沿って歩いていくと古墳に行き当たり、やがて礼拝所についた。西には奈良盆地が開けている。以前に来たときはこの御陵はあまり大きい印象がなかったのだが、どうも200メートルはあるらしい。ガイドブックによると、もっとも初期の前方後円墳の一つということである。

ここで昼食にしましょうか、という声も出たが、結局、長岳寺の近くにある休憩所まで行くことにした。西に大和三山、振り返れば衾田陵と青垣の山々、南に山辺の巨大古墳群と、歴史を実感できるすばらしい景色である。やがて長岳寺につき、天理市の管理する休憩所で思い思いに芝生に座り込んで昼食を食べ始めた。無料でお茶のサービスやパンフレット、シャワーがあり、駐車場まで無料なのには驚いた。

大和三山


昼ご飯でやれやれ


KuさんやKaさんは、前回の山辺の道は不参加だったので、早々に昼食を切り上げて長岳寺に向かって出発された。今年は躑躅の季節に合わせて早く来たつもりだったが、平年よりあたたかい気候のためか、やはり終わってしまっていた。あたり一面、躑躅なので、満開だと本当にきれいだろうと思った。私はOさんと前回、見残した石仏を見に行く。わりに新しいなと思ったが、鎌倉時代のものらしい。奈良にはあまりにも古いものが多く、鎌倉時代では古いとは見えないようだ。

昼食を終えて崇神天皇陵に向かって歩き出した。この古墳も200メートルを超える巨大なものである。ここからハイキングコースを外れて歩くことになる。地図にある道が通れなかったり、古墳の堰堤にコンクリートの柵がしてあったりで、歩き始めそうそうから大波乱である。周濠の右にも100メートルを超える古墳がいくつかある。これらは崇神天皇陵の陪塚で、時の大王はよほど大きな権力を持っていたらしい。崇神天皇陵は、周濠が立派で、その分、古墳が大きく見える。濠自体は江戸時代に作られたものらしい。すぐ南の景行天皇陵までは野道がなく、仕方なく県道に沿って歩いていく。アスファルトの道は照り返しがきつく、非常に暑い。遠景に三輪山の円錐を見ながら、かなり汗をかいた。早く涼しい道を歩きたいと思いながら、やっと景行天皇陵の拝所についた。景行天皇陵は奈良盆地では最大の古墳で全長がたしか330メートルある。そのわりに大きく見えないのは、周濠が小さいためであろう。

三輪山


景行天皇陵


ここからはまっすぐ南に野道が伸びている。これがYaさんの言っておられた桧原神社に行く道だろう。はるか南に箸墓が見える。「あそこを目指していくんですね。」Kaさんが言われると、古墳マニアのOさんが感慨深げな顔で箸墓の方を見つめていた。 野道を南向かってしばらくいくと道が分かれており、まっすぐ南に行く道と、西に折れる道のどちらをとるかで意見がわかれた。どうも東に行くほうがどう見ても近そうだなと思ったものの、Oさん、Iさん、Nさんと私は南の道、Kaさん、Kuさん、Uさんは西の道をとり、箸墓で会うことにした。例によってMBI探検隊の始まりである。

南にすすんでいくと、しばらくして道が細くなってきた。行き止まりかな、と思っていると、前方右手に公園らしいものがみえてきた。「あそこを越えましょう。」 そう言って勇んでくると、公園ではなく古墳らしい。案内板があったので、みると「ホケノ山古墳」とある。Oさんと私がほぼ同時に「ああ、あの有名なホケノ山はここにあるんですね。」と言った。ホケノ山古墳は、前方部が非常に短く、円墳に小さな前方部がついた最初の前方後円墳と言われている。最近、前方部に埋葬施設が発掘され、新聞等でも話題になった。「こちらに来てよかったですね。」 Oさんにそういうと「まったく、ここにあるなんて知らなかった。いやあ、いいものを見ました。」という返事が返ってきた。古墳マニアにとっては至福の時間である。

ホケノ山古墳2


ホケノ山古墳から道を西にとると、箸墓の巨大な姿が見えてきた。道の向こうに数人の人が見手を振っている。Kaさん、Kuさん、Uさんだ。「やあ、向こうの方がよく見えますよ。」Kaさんが指し示した周濠の方に急いで歩いていった。箸墓は北側に広い周濠が残っており、こちら側から見ると、雄大な景観である。古代の人はよくこんなものを作ったものだ。そういえば古事記には、箸墓のことを、「二上山から土を運び、昼は人が作り夜は神が作った」と記載されている。実際に、この古墳からはサヌカイトという奈良盆地西方にしかない石が出るらしい。 この古墳の被葬者、ヤマトトトヒモモソヒメの悲恋の物語は長くなるので割愛するが、伝説に彩られた古代の浪漫あふれる古墳である。

箸墓


箸墓2


箸墓の西に通行の多い県道が通っており、南側は、住宅地と接しているわりに、周囲は静かな雰囲気を保っている。古墳は、一応、柵をしてあるものの、人が登った形跡があり、管理は結構ゆるいようである。 ここで、三輪までいくか巻向に戻るか、結局、下見に来られたYaさんの言葉に従い、近い巻向に戻ることにした。大きな周濠を巡って、駅までいくことにする。この季節、休日は、ハイカーのために臨時列車が多く出ているのはありがたい。 駅までやっとの思いでたどり着いて、自動販売機でお茶を買っていると、列車がすぐにくるという。無人駅の自販機で切符を買って、慌てて列車に乗り込み、座席に座り込んでやれやれである。今回は、思いのほか距離があり、20000歩は超えていたらしい。帰路、車窓の東側に雄大な古墳と大和青垣の山々が見え、西に広がる奈良盆地を見ていると、列車が古代に向かって走っているような錯覚に陥った。

無事完走



「完」


参加者(50音順、敬称略)
飯村
上田
大倉
川勝
桑原
成田
吉野


報告者 吉野
HP編集 伴野


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