[ 第7回史跡ハイキング報告: 石山寺から琵琶湖畔を歩く ]
(2004/7/25)



 7月25日(日)、史跡ハイキングも第7回を迎えた。もう2年あまり続いていることになる。今回も都合のつかない方がおられ、Nさん、Kaさん、Iさん、Oさん、Yaさん、私の六人に、MBI会長の三輪さんを加えた7名であった。Kuさん、Yさん、Itさん、Uさん、Tさんは欠席で、初参加の予定だったKsさんも日程が合わず欠席となった。

朝、JR石山駅に着くと、改札口にNさんがおられたので、一緒に京阪電車で石山寺の駅に向かった。先にOさんからJR東海道線が事故で遅れているとの連絡があったにも関わらず、予定の9時30分過ぎには全員集合したのは、さすがMBIである。今回は、MBI会長の三輪さんがわざわざ藤沢から参加されるとのこと、どうも、関西支部の雰囲気の確認と、ハイキング終了後に予定されている今後の活動についての話し合いに参加するためらしい。

今日も暑そうだ、と思いながら、石山寺に向かって歩き出した。湖岸を走る県道に沿って南に歩いていく。このあたりは瀬田の洗堰からは上流なので琵琶湖の一部のはずだが、幅が狭まっており、土地の人も瀬田川と呼んでいる。ぶらぶら歩いていると、やがて石山寺の山門についた。例によって、ここで記念撮影である。通りかかった人にカメラのシャッターをお願いしたものの、すこしアングルがずれていたので、別の方にお願いして取り直しをした。

記念写真


山門から少し行くと、右手の小さな池の向こうに、岩の中をくぐる場所がある。胎内くぐりとでもいうのだろうか。好奇心旺盛なIさんが、一人でくぐりに行かれた。

石山寺の胎内くぐり


 本堂に登る石段の手前で、拝観料500円を払う。Yaさんの「値上がりしている」と言う独り言が聞こえた。いつからだろう。去年、紅葉の季節に来たときは、確か500円だった。右手の石段を登ると、目の前に黒光りする巨岩が見えてくる。これが石山寺の由来らしい。その手前に33体の小さな観音様の像をまつった観音堂があり、ここでお参りすると西国33箇所を全てお参りしたことになるらしい。昔の人も便利なことを考えたものだ、と思わず感心してしまった。左手の階段を上るとすぐに本堂である。本堂右手には、紫式部がここで源氏物語の構想を練ったと言い伝えられる部屋があり、紫式部の像がおいてある。薄暗いせいか、妙にリアルで迫力がある。本尊の観世音菩薩からは胎内仏が発見されたとかで、期間限定の公開になっているはずである。でも、昨年秋にも期間限定公開だったような記憶がある。本堂は崖の上に建っており、周囲の森林と相まって、幽すいな雰囲気をたたえている。この自然と調和した様子が、奈良京都の都市部の寺では味わえないもので、源氏物語の構想が練られたのも、さもありなんと思わせる。

石山寺の巨岩


本堂の横から坂を上がって行くと、小さな祠のいくつかと多宝塔を通り過ぎ、見晴らしのよい場所に出る。ここからは、北側に瀬田の唐橋、琵琶湖が臨めて、なかなかの景色である。裏山を一周すると、四季折々の花木が植えられていて、季節感が楽しめるようになっている。ここの寺は、なかなか顧客サービスが行き届いて・・・と誰かが言い出したのは、MBIの習慣がまだ残っているからだろうか。確かに、石山寺は花だけでなく休憩所もあちこちに完備していて、訪れた人に対する配慮が行き届いている。山の上近く、紫式部のブロンズ像がひっそりと茂みの中に鎮座していた。早速、好奇心旺盛なiさんが見にいかれた。

琵琶湖遠景


石山寺散策路


紫式部像


思い思いに山を下って時間を見ると、思いのほか時間をとっていた。急いで、瀬田の唐橋に向かうことにする。山門を出て左手に少しいくと、「朗澄大徳遊鬼境」という石碑があり、なんでも、高僧が鬼になって寺を守ったという伝説があるらしい。そういえば同じような伝説は比叡山延暦寺にもあった。来るときもここを通ったはずなのに気がつかなかったのは、我々が寺に害の無い人間だと認めてくれたからだろうか? 住宅地の中の旧街道を通って、瀬田の唐橋を目指す。唐橋の手前で「御霊神社」があった。同様の神社は京都の上御霊神社、下御霊神社、奈良の御霊神社がある。いずれも非業に死んだ霊を祀った神社である。大津の御霊神社は、壬申の乱で敗北した大友皇子の亡くなった場所にあり、大友皇子を祀ったものらしい。公園になっているが、寂れた雰囲気であった。

瀬田の唐橋は、現在はコンクリート橋になっている。古代から中世にかけては、唐様のモダンな橋だったのだろう。唐橋を守って勝ったためしはないというのが古代からのジンクスらしい。橋を渡っていると、iさんが突然「マラソンコースはここでしょう」と言い出した。確かに現在は、びわこ毎日マラソンのコースになっており、毎年1回はテレビに映る著名な橋になっている。 唐橋から建部大社までは門前町の面影が残っており、昔ながらの荒物屋や駄菓子屋があって結構楽しい。新しくなっている家も多いが、観光地らしさがないのも滋賀県の良さである。

建部大社は近江一ノ宮、祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)でこの地で亡くなり白鳥になって大和に帰り、さらに西に飛んでいったという悲しい伝説がある。神社は現在でも1万坪以上ある立派な境内を持っており、近江一ノ宮にふさわしいたたずまいである。誰かから「一ノ宮は多賀大社じゃないんですか?」と聞かれた。確かに建国神イザナギノミコトを祀る多賀大社を差し置いて、ここが一ノ宮であるのは奇妙な気がするが、浅学で答えることができなかった。

建部大社(1)


建部大社(2)


建部大社(3)


唐橋まで戻って、そこから湖岸を歩き出す。山の方に出ている入道雲が少し気になる。途中、入り江があり、道が切れていて慌てたが、少し迂回すると上手く向こう側に出ることができた。屋形船が昼の宴会準備をしていたりするのを見ると、そろそろ空腹を感じてきた。空は相変わらず青く、気温は高い。しかし風があって歩くには悪くない天候である。

瀬田の唐橋を背に瀬田川を歩く


近江大橋はすぐそばに見えるのに幾ら歩いても近づいてこない。どうも、橋が大きすぎて、近くに見えるようだ。IさんとOさんが橋の長さを見積もりだした。車があれぐらいだから橋脚の距離はこれぐらい、だから全体のながさはと・・・。そういうことで気を紛らわしていないと、この暑さはやりきれない。景色のきれいなのがせめてもの救いである。

湖岸の道(1)


湖岸の道(2)


前方に「天下一品」の看板が見えてきた。MさんとOさんにKaさんが加わって、ラーメン談義が始まった。「東京には天一はありますか?」「ええ、こってりとあっさりのラーメン屋でしょう」なんとなく食べたくなってきた。ここは我慢してヴュルツブルグでドイツ料理、と言い聞かせた。 膳所城跡の公園に着いたが、誰もあたりを見ようとしない。このころになるとひたすら目的地を目指すウォーキングロボットになってしまっている。外来魚の回収をしている人達がいた。大半がブルーギルである。覗き込むとやたら臭いので、早々に立ち去ることにした。

近江大橋を越えると目的地のレストランヴュルツブルグと意気込んだものの、まだはるか砂浜の向こうに赤い屋根が見えている。iさんは一心不乱に湖岸をあるいていく。Nさんは道路沿いをひたすら歩いている。私はというと雲行きが怪しいので空を見上げていると、あと数10メートルというところでとうとう降り出した。

渚公園(1)


渚公園(2)


急いでレストランに入り予約してあった席に着いた。中では私の家内が先に来て待っていた。車で子供を高校まで送った帰りらしい。 レストランヴュルツブルグは、大津市がヴュルツブルグを姉妹都市になったのを記念して、ドイツからシェフを招いて料理指導をさせたらしい。建物はいわゆるドイツ風で屋根は赤瓦である。ここだけみたらドイツだね、とドイツ駐在の長いKaさんが言っておられた。 ドイツビールで乾杯し、フランケンワインと料理に舌鼓を打った。内緒の話だが、ここのフランケンワインは、MBIに参加していた某社が輸入元になっている。大津市が経営しているだけに値段もリーズナブルで昼食にはちょうど良い。

ヴュルツブルグで乾杯


食事をしながらMBI関西支部の今後、来年の関西イベントなどの議論を会長のMさんを交えて行った。外はいつの間にか大雨になっている。 いつもとは少し雰囲気の違う史跡ハイキングであった。こういう最後に食事会のついたイベントも結構楽しいものである。

記念撮影



「完」


参加者(50音順、敬称略)
飯村
大倉
川勝
三輪
成田
山崎
吉野


報告者 吉野
HP編集 伴野


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