[ 第14回MBI史跡ハイキング報告: 柳生の里 ]
(2006/05/14)



第14回MBI史跡ハイキング

日時:2006年5月14日(日)
天候:曇り
参加者:13名(五十音順、敬称略)
飯村
大倉
桑原夫妻
成田
山内
吉野



年に3回のペースで、関西の史跡ハイキングを続けて、今日が14回目である。GWの終わりごろから、雨模様の天候が続いている。いままで雨にほとんど降られていないMBI史跡ハイキングも、さすがに今回はダメかと思った。ただ、予報は午後から晴れだったので「雨でも決行しますよ。」と前日に念押しのメールをしておいた。

当日、朝起きると晴天。よかった、というわけで、急いで出かけた。近鉄奈良駅に少し早く着いたものの、出る階段を間違えてしまい、待ち合わせ場所のバス停はどこだろう、としばらく探すことになってしまった。バス停集合を連絡した本人がこの調子だから、危ないものだ。やっとバス停を見つけて待っていると、ほどなく皆さん集まったが誰か足りない。しばらくしてYさんから、遅れて次のバスに乗ります、と連絡があった。

忍辱山円成寺(にんにくせんえんじょうじ)までバスでいく。普段は2時間に一本程度だが、観光シーズンの朝は30分毎に臨時バスが出る。奈良坂にさしかかったところで、Oさんが話しかけて来た。「ええと、確か、内田康夫の小説の舞台はこのあたりでしたね。」「奈良坂を越えた女、でしたか。ええ、確かにこのあたりです。奈良街道は向こうですから、この三叉路じゃないでしょうか?」「やっぱりそうですね。あの小説は面白かったですね。」
箸墓幻想以来、Oさんと私は、内田康夫氏の小説、とりわけ歴史を題材にしたミステリーにはまっている。気軽によめて楽しく、Oさん評するところの「水戸黄門みたい」という安直さと痛快さがある。こんな話をしている間に、バスは柳生の里に向かって、どんどん登っていく。「かなり登りですね。」誰かが言った。確かに、この坂道を歩いて柳生に行くのは、ちょっと遠慮しておきたい。

そのうち、道は平坦になってきた。次は円成寺口というアナウンスを聞いて、急いで停車ボタンを押した。ところが、そのすぐ後に、円成寺はその次で下りてくださいという。やがてバスが止まり、運転手が「誰も降りませんね」と確認すると、押した張本人の私はなにか叱られているようで決まりの悪い思いをした。バスを降りると、円成寺の影も形もない。こっちでしょう、と言って歩き出すと、すぐに道の反対側に寺が見えた。準備不足もいいところである。今回はガイド失格だな、と思いながら、寺に向かった。

円成寺は大きな池のある庭園があり、自然をうまく生かした美しい寺である。堂塔は小さいのだが、それなりに趣がある。入口のところに「真言宗御室派」という看板があり、Nさんが寺の人にきくと、京都、御室の仁和寺の末寺ということである。

円成寺庭園




円成寺の塔




拝観料を払って入ろうとしたところでちょっとした事件が持ち上がった。拝観料を徴収していたおばさんが「払わずに入った人がいる」と言い出したのだ。まさか、と思ったが、一応、Kuさんが「皆さん、拝観料は払いましたか?」ときいてくださった。皆、拝観料と引き換えにくれるパンフレットを持っている。確認して「みんな払ってますよ」と私が言いに行くと、おばさんは、まだ疑わしげな目をしている。「みなさん、パンフレット、持ってましたから」と言って、やっと納得してもらった。

真言宗の寺なのに、なぜか本堂は阿弥陀如来が本尊である。真言宗は、普通、大日如来か薬師如来である。後世の浄土宗の影響をうけているのかも知れない。本堂は、江戸時代に建築されたものらしいが、柱や天井に仏様が描かれていて、さながら曼荼羅である。創建当時は美しかったのだろうと思う。本堂の横には小さな祠があり、春日大社の末社だという。この寺はいろんな寺社の影響をうけているな、と思ってパンフレットを見ると「国宝」とある。雨ざらしで何もセキュリティが施されていない国宝、それだけでも、柳生の里ののどかさがわかる。

円成寺本堂




国宝の小さな祠?




真言宗の根本仏、大日如来がない、という疑問は、再建された塔の中をみて解けた。中に智拳印を結んだ金剛界大日如来さまが鎮座している。金堂や摂社のセキュリティの甘さと対照的に、こちらはガラス張り、おそらく周囲にセンサを張り巡らしているのだろう。なんともアンバランスな構図だ。拝観しているうちに、Yさんが遅れてやってこられた。Yさんにはお気の毒だが、駆け足で拝観していただき、記念撮影をし、歩きだすことにした。

集合写真




さて、柳生街道を歩くのはいいのだが、今回、何もしらべていない極めていい加減なガイドのおかげで、どこが入口だかわからない。結局、お寺の茶店の方に聞いて、やっと入口をみつけた。 「おお、石畳だ。」誰かが感嘆の声をあげた。でも、この石畳は最近つくったものでは?「新しいものだと思いますけどね。」確かに、コースの案内板の周辺だけが石畳ですぐに地道になった。

道は、杉並木を縫うようにして続いている。雨上がりで多少湿度が高いが、いい森林浴である。でも、花粉の季節は大変だろうな、と思うのは、都会人の悲しさだろう。道は、誓多林まで、緩やかなアップダウンを繰り返している。「ずっと下りだよね、Yさんの案内にそう書いてあったから。」今回は、はっきりと調査不足なので、なんとも反論のしようがない。

しばらくすると、杉並木が開けた場所に出た。斜面、一面の茶畑である。向こうに大きな藤の花が見えている。「見事な景色ですね。」そういう声の中で、「ここで、茶摘体験とか言って、金をとったらどうかな。」と言い出したのは、Iさんである。この程度で窃盗、詐欺罪になったのではたまらない。道はやがて舗装路になったものの、車はたまにしか通らない。どんどん下っていくと、やがて大きな茶畑についた。Oさんと私は道端で売っていたお茶を買うことにした。Iさんたちは、茶畑の中の石仏を見にいくという。相変わらず、元気な人だ。

見事な茶畑




再び、森に入ると、ほどなく峠の茶屋に着いた。石切峠にあるこの茶屋は江戸時代から続いているらしい。茶屋には鉄砲や刀、槍が飾ってある。味噌汁を頼めば、店で弁当を食べてもいいということなので、昼食をとることにした。250円の味噌汁は高いな、と思っていたら、新鮮な葱、かまぼこ、麩、とろろ昆布などが入って、非常に美味であった。昼食を食べていると、あとから人がどんどんやってくる。Nさんが「僕らみたいなのを、客をよぶ縁起のいい客というんですよ」と言っていた。単に昼時だったからかもしれないが、確かに客のいる店は入りやすいのかも知れない。
峠の茶屋




峠の茶屋を出て、地獄谷に向かおうとすると、道が崩落しているらしく、通行止の表示があった。「うーん、地獄にはいけないのか、残念。」「私なんか、煩悩の塊だから、地獄のほうがいいんだけど。」「極楽は、静かに蓮の葉の上に座っていないといけないんでしょ。地獄はテーマパークみたいで面白そうだし、いけないのは残念だな。」皆、罰当たりなことを言っている。

このあたりの谷は、たしかに「地獄谷」といわれている。石仏で有名な場所がなんで極楽谷でなく地獄谷かと言うと、このあたりは、奈良・平城京の庶民の死体捨て場だったからだそうだ。昔の庶民は、鳥葬、風葬が普通で、このあたりは、京都の鳥辺野のように、死屍累々といった状態だったのだろう。それで地獄谷という名前がつき、菩提を弔うために、たくさんの石仏が彫られたものらしい。そういえば、奈良の町では、元興寺がこの世と冥界の境界で、鬼のことを元興寺(がごぜ)という。冥界の向こうが地獄谷、なるほどと納得してしまった。道はやがて春日奥山ドライブウェイを横切って、石畳の滝坂道へと入る。Iさんが回り道を通って地獄谷の聖人窟に行きたそうにしているが、みんな、いい加減ばてていて、誰も同意しない。石畳はよさそうに見えて歩きにくく、足に疲労がくる。昔の人は、よくこんなでこぼこ道を通って荷物を運んだものだと思う。

このあたりは、春日奥山原始林と言われ、世界遺産にも登録されていて、杉や桧の古木がたくさんあり、鬱蒼とした深山の趣がある。穴仏、首切り地蔵、夕日観音、朝日観音、寝仏、と、谷あいを下りながら、ひととおり順番に見ていった。石仏そのものを美術としてみれば、かなり稚拙なものだと思うが、それを彫った庶民の心情、亡くなった人の菩提を弔う心が、見る人の心を動かすのかもしれない。

穴仏




首切り地蔵




朝日観音




夕日観音




寝仏




あるいていると、やがて、突然まわりが開けて奈良の町に入った。山奥からいきなり街中に、このギャップはちょっとしたショックである。帰りに新薬師寺に立ち寄った。この小さな寺は、いわゆるボロ寺、荒れ寺の類で、そこに無造作に世界に誇る仏像がおいてあるのがなんとも面白い。ここの十二神将は塑像でありながら、見事な躍動感と緻密な表現があって、いつ見てもすばらしい。本尊の「どんぐり眼の薬師如来」のユーモラスさと対照的で、それがまた人をひきつける。「十二神将で一体だけ最近作られたものがありますが、わかりますか?」このクイズの答えは意外に簡単で、一体だけ「国宝」の表示がないのがそれである。ただ、それがなければ区別が難しいくらいによくできている。新薬師寺は、戦時中に香薬師像が盗まれたり、昔は本堂で賭博をしていたなどという嘘のような話もある。そういえば、本堂も国宝だった。国宝の建物で賭博?なんとも違和感のある話である。また、それが新薬師寺の面白さかもしれない。

新薬師寺で記念写真




奈良駅に着く頃には、みんなくたくたで、万歩計を見ると26000歩を指していた。「 完 」



報告者: 吉野
写真撮影:吉野
HP編集: 伴野


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