第23話 (3.28.2005)
「高校時代の思い出」


今はALSという病に冒され、
寿命も後何年という状況にあります。

なれど、私の高校時代はALSという病に
冒されようとは夢にも思っていませんでした。
その当時は
ALSという病気の存在すら医学界では
認識していなかったと思います。

そんな私の高校時代の思い出を懐かしみつつ、
思い出すままに綴って見たと思い筆を執りました。
ご笑読下さい。

私の高等学校は都立墨田工業高等学校です。
当時(入学は昭和32年)の日本は
戦後の復興途上であり、
工業立国を日本全土で目指していた時でした。

私は長男として山藤の家に生まれ、
弟が二人おります。
私はスポーツが幼児の頃より好きで
勉強は嫌いでした。
中学生の時、
私は中学を卒業次第、
自衛隊の今でいうレインジャー部隊
に入りたいと思っていました。
何故、レインジャー部隊に入りたいと思ったのかは
今でも定かではありません。

いずれにしても、
高等学校への進学を全く考えていませんでした。
ある日、父兄面談で
母は当時の担当教官(担当の先生)より
私が高等学校への進学を考えていないと聞かされ
愕然としたそうです。

母はすぐさま父にその話をして、
父母揃って担当教官に相談に行き、
なんとか私に高等学校へ進学をするように
教官より説得して欲しいと依頼しました。
勿論、父からも高等学校への進学を説得されました。

結果として
私は墨田工業高等学校へ進学することになりました。
父母への面子の手前、
入学試験を受けることにはしましたが、
落ちたら自衛隊へ入ろうと思っていましたので、
特段の試験勉強もしませんでしたが、
自分の意思とは無関係に
同高校の入学試験に合格してしまいました。

墨田工業高等学校は同校長に言わせますと、
都内で一番古い工業高校とのことでした。
校長が言いたかったことは
工業高校として名門である
と言いたかったのでしょう。

この高校は男子校です。
勿論、女子を入れないとの校則はありませんでしたが、
結果として開校以来女子は一人も入学していませんでした。
一学年5クラスでした。

当時は何の抵抗もありませんでしたが、
今思うと不思議なのは、
この高校は縦社会が徹底していまして、
一年一組・二年一組・三年一組と
組み単位での縦社会が徹底していたことです。

つまり、学年にかかわらず
一組は全て鳳凰、二組は白虎、三組は玄武、
四組は青龍、五組は麒麟といった具合に
中国の伝説的動物名をつけて
縦の団結を旨としていました。

この学校は一年生の時のクラス分が
三年生までそのまま踏襲されます。
すなわち、一年生の時、一組であったら
二年生になっても、三年生になっても一組です。
私は二組の白虎軍団でした。
なにごとによらす、「団」での行動が主体でした。

運動会は典型的な例で、
紅白に分かれての競技ではなく、
各団対抗です。
これを称して「団制」といっておりました。

三年生は団の頭ですから、
団の強化に努めます。
入学式が終了するや否や、
各団長(三年生)が入学式の壇上に上がり、
各団に指令を発するのです。
勿論、校長を始め、
全教官が同席している場所での指令です。

その指令内容はどの団長も同じもので、
「本日・何時に・どこに」
団員全員集合というものです。
私の白虎団の集合場所は学校の屋上でした。

わけもわからず我々一年生は
ブチブチいいながら
ノロノロと屋上に行きました。
既に二年生は二列横隊で整列していました。
三年生は全く整列せず、
二年生の二列横隊のまわりに三々五々、
散らばっておりました。

驚いたことに、
一年二組・二年二組・三年二組の
各担当教官も屋上に同席しているではありませんか。
異様な雰囲気の中で
我等一年生は屋上にきたものの、
どのような行動をとったら良いのか
全く見当もつきません。

やおら、三年生の副団長より
「一年生は二年生の後ろに二列横隊で整列せよ」
との指令が発せられました。
我等一年生はモタモタと
かろうじて二列横隊もどきを整えました。

すると、くだんの副団長より、
「列の定義を一年生は知らんのか!!」
との怒号が屋上に響き渡りました。
同副団長の説によると、
「列とは一本の線のごとく、一糸の乱れもなく整列する」
とのことで、
我等一年生の列はデコボコで程遠いものでした。

列を整えるのに
相当の時間を費やした後、
「応対せよ」との次の指令が発せられました。
要は「二列横隊の一列が後ろを向いて、
互いに応対した状態にせよ」との指令でした。

次の指令は
「足を肩幅に広げ、奥歯を食いしばれ」でした。
三年生の何人かは竹刀を持って、
屋上の床をバシバシと叩きながら
我等一年生・二年生の周りを回っていますので、
なんとなく恐怖心が湧いて、
いわれるままに足を肩幅に開き、
奥歯を食いしばりました。

副団長が
「これから精神を鍛える」
と吠え(まさに吠えるという表現がピッタリ)
「これより応対ビンタを行う」との宣言。

「応対ビンタ」の意味すらわからない我等一年生。
二年生は既に何が行われるかを十分承知していた。
要は、一列目の人間が向かい合っている
二列目の人間の頬にビンタ(平手でひっぱたく)
をくらわせるのです。

入学して間もないとはいえ、
同期に入学したよしみもあり、
向かい合った相手の頬を殴るなどは
普通の神経の人間には出来るものではありません。
「ビンタ始め」の指令で
己の思いとは別に向かい合った相手の頬に
平手打ちを加えるのです。
当然遠慮がちにするものですから、
見ている三年生には
「思いっきり叩いていない」と映ります。

副団長は
「そこの一年生2名、前に出ろ」
との指令が出、
前に出た一年生に副団長が「ビンタ」
をくらわせるのです。

ビンタを受けた一年生は
屋上に倒れこんでしまう程の強さです。
「ビンタとはこうするものだ、ヤッテミロ」
と二人の一年生を応対させ、
かわるがわるに副団長が
納得のゆくまでやらせたものでした。
その上で全員に
「応対ビンタ」のやり直しをさせたのです。

ヤンワリと応対ビンタをしている組は
三年生がめざとく見つけて、
列の前に出され、
三年生よりコッピドク、
ビンタのやり方を身をもって教えられます。
その結果
彼らの頬は真っ赤に膨れあがってしまいます。
ですから、そんな目に会いたくないものですから、
向かい合った相手を憎んでいるわけではありませんが、
自分の身を守るために
目一杯の力で相手の頬にビンタを食らわせたものでした。

これは現在の「いじめ」とは
全く異なるもので大勢の前で、
しかも、担当教官の前でなされるものでした。
この応対ビンタは
入学式直後の一回だけで、
その後一度もありませんでした。

年に一度の運動会となると、
団制競技ですから運動会へ向かい
競技強化訓練が三年生の指揮のもとで
2ヶ月くらい前くらいから始まります。
その凄まじさを記述すると
紙面が不足しますのでここでは割愛します。

これらの行為・風習は伝統的なもので
上下の規律と団体行動の規律を
守らせる訓練であったと思われます。
決して嗜虐的行為ではありませんでした。

仮に上述のような行為が
今日教官立会いのもとになされたとしたら、
新聞・週刊誌の格好のネタになるでしょう。
かっての風習が良かったとはいいきれませんが、
現代社会の規律に対する
ズサンさを思うと考えさせられます。

誤解いただきたくないのは、
私は決して帝国陸軍式精神訓練を
奨励しているのではありません。
苦しさ・厳しさに堪える訓練が
今の日本にはあまりにも欠けているのではないか?

少子社会となり
両親はたまた両祖父母がかりで(数人がかりで)
一人の子供を育て、
チョット鼻水を出したといっては医者に駆け込み、
チョットした過激な運動にはSTOPをかけ、
一人遊びのゲームに夢中になっているわが子には
特段の注意もしない。
一人遊びしかしない子は
ひとりよがりになりがちで
人への配慮とか辛抱・我慢の訓練の場がありません。
精神訓練がなされないまま、
受験勉強で頭でっかちの
ひ弱な大人に成長しても
社会で通用するのでしょうか?
そんな人間が大半を占めるようになる社会は
どんな社会になるのでしょうか?

私の子供時代は
父母ともに忙しく、
子供にかまけている時間がない。
テレビもゲームも無い時代ですから、
子供は子供達で遊びを工夫し
仲間と一定の規律の中で遊んだものでした。
また、近所の小父さん、小母さん達は
自分の子・他人の子の見境をせずに
間違ったことをしていれば注意をしてくれました。

今は他人の子供には見向きもしないでしょう。
迂闊に注意でもしようものなら
その子供のご両親から
「余計なことをするな」と言われかねないでしょう。

小学校・中学校でも
生徒に厳しくする先生は
父兄会で槍玉にあがってしまう。
従い先生も事なかれ主義の教育に終始することになる。

私が小学生・中学生の時は、
「三歩下がって師の影を踏まず」
という教えがありました。
今時の生徒は先生を友達感覚で捉えている、
と言っても過言ではないのでは?
家庭でも、学校でも、地域社会でも
子供への躾がなされない
このような風潮を是認していたら、
三十年後の日本はどんなになってしまうのであろうかと
危惧している年金老人なのです。

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